ポール・マッカートニーの東京公演で見つけたもの

 


2018年11月1日(木)   ポール・マッカートニー 〜フレッシュン・アップ ジャパンツアー 2018〜 を観に、東京ドームへ行ってきた。

 

 

クローゼットに眠っていたビートルズTシャツを引っ張り出して、久しぶりのコンサートに気合を入れる。

 

 

何十年ぶりかのコンサート

思えばロックコンサートというものに足を向けるのは、おそらく何十年ぶりのこと。
最後に観たのがいつでその時のアーティストは誰だったっけ…エリック・クラプトン、スザンヌ・ベガ、ジャクソン・ブラウン、ボン・ジョヴィ、ブライアン・アダムス…
ブルース・スプリングスティーンに至っては、公演日を間違える世紀の大チョンボで貴重なチケットが紙屑に・・・

開演までの30分もの間、遥か遠いステージをぼんやりと眺めながら必死に過去の糸を手繰り寄せようと試みたものの、結局答えが見つからないうちに始まりを告げるイントロが鳴り出した。

 

 

ビートルズ時代の名曲「A Hard Day’s Night」で幕を開けたコンサートは、出だしから最高潮のボルテージ。アンコール最後までの37曲を、ポールはその間一度も給水を摂ることなく一気に演りきる。

 

 

37曲のパフォーマンスの中で特に印象深かったのが「Blackbird」と「Let It Be」

Blackbirdについては、自分が20代の頃ギターに夢中になっていた時期があり、その時必死に練習した思い入れのある曲だから。

Let It Beは言わずもがな普遍の名曲。長く歌い継がれている20世紀を代表する曲のひとつといえるだろう。

それを生歌で聴いている。しかもそれはカバー曲ではなくて作者本人の演奏。
自分の中では完全に歴史上の偉人と化していたビートルズの曲を、紛れもないオリジナル演奏の場に立ち会えるなどとは、想像だにしていなかった。

ありえないよ、こんなこと・・・まるでバック・トゥー・ザ・フューチャーの世界に紛れ込んだかのような不思議な気持ち。ポールの奏でるメロディーが心の琴線に触れたのか、自然と涙が溢れてきた。

 

 

コンサートに行こうと決めた理由

なぜ今回コンサートに行こうと決めたのか。
実は前々から楽しみにしていたわけではない。

きっかけとなったのは、本番からすでに一週間を切った日のとある番組で、音楽評論家の湯川れい子さんがこのツアーについて熱く語っていたことだった。

“「原曲キーで歌っている」
「2時間半のステージ、一度も休憩をはさまない」”

一見なんの変哲もないように思えることだが、よく考えてみよう、ポール・マッカートニーは御年76歳。世間一般ではお爺さんといわれる年齢だ。(実際ポールには8人の孫が居るようだ)

そんな人がキーを下げずにまた途中休憩も挟まずに2時間半のステージを繰り広げるって、なにそれ?
ポール・マッカートニーを好意的に受け止めたとしても、76歳の人間がステージ上でシャウトする姿なんて全くイメージが湧かない。

けれども湯川さんはさらに言う。

“「彼は今回のツアーに、自身の人生をコンプリートさせようという、そんな意気込みを持って臨んでいるのではないか」”

カナダ エドモントンでの彼のステージを目の当たりにし、そして直にインタビューをする中で、湯川さんはポール・マッカートニー から発せられる尋常ではない何かを感じ取ったのかもしれない。

地位も名誉もお金も全てを手に入れた人が、何をいまさら大変な思いをすることがあるのだろう。のんびりバカンスしていればいいじゃないか。

こうまでして彼を掻き立てるものは一体なんなのか?
湯川さんの熱っぽい語りに釣られて、自分もまたそのことを己の目で確かめたくなった。

それからもう一つの動機として、創作家の先達の姿を観ることで、自分に刺激を与えたいという目論見もあったのではあるが。。。

ポールのエッセンスを一滴でも受け止めることができたら、それは自分にとっての今後の道標となるものを含んでいるかもしれない。
そんな淡い期待も抱きながら、急いでチケットの購入手続きをとったのだった。

 

ポールの答えはステージにあった

ポールの披露するエピソードトークが、それに絡めた楽曲をより一層興味深いものにしていた。

そしてポールはまるで、先に逝ってしまった盟友たちに捧げるかのように、切なさを含んだメロディーを奏でた。

そうかと思えばお茶目な仕草で笑いを誘い、オーディエンスとの距離を縮めていた。

Let It Be では、この日一番の本気の表情で熱唱をかました。

ステージ上には、いやスタジアム全体には、愛が溢れていた。

きっとポールは愛するファンたちと、この温かい時間を共有したかったのだろう。
この空間には、地位も名誉もお金も手に入れた人が得られる満足感とは明らかに違う、かけがえのないものが確かに存在していた。

 

その一方で自分への解答は?

ポールの動機のほんの僅かの一部分を、自分なりに見つけることができたような気がする。
では自分自身はどうだった?自分のためには何か発見できた?

結論からすればそれを現時点で語ることはできない。
なぜなら、今はポールの世界を堪能してお腹がいっぱいだからだ。

しばらくの間は、仕事中のBGMも食事中の動画閲覧もポール・マッカートニー一色になるだろう。

ポール・マッカートニーには、一人の人間をたった一夜で虜にしてしまう魅力がある。そのことがわかっただけでも良しとしようではないか。

そのあとのことはこのポール熱が覚めてから、ゆっくり考えることにすればいいさ。

フラワーアーティスト 和田 浩一